− 主張、調査
機関紙なごや市職㊗2000号達成!
市職労のスローガンは昔も今も“市職労の元気は職場から”です!
4月11日付号で“なごや市職”は発行2千号をむかえました。創刊号は1949年11月20日、機関紙“名市職”として出されました。
62年の間、多くの組合員の手で守り育てられてきた“なごや市職”をさらに3千号、4千号へと仲間の声と運動が載る機関紙として発展させるとともに今日の厳しい情勢を切り開き、仲間の団結を強める役割を果たしていきたいと思います。
●創刊号のころ
情報共有が分断攻撃を押し返す確かな力
“名市職”が創刊された49年当時の組合員の賃金水準は、41歳男子、勤続6年、妻と母、子ども5人の8人家族で給料支給額1万2円。所得税1,248円などが差し引かれ、手取りは9,543円。その時の生活困窮者扶助費の1万281円より低い支給額です。
同年7月、GHQによる露骨な組合つぶしが始まり、国鉄では9万5千余が整理解雇。名古屋市でも活動家を狙い撃ちに8月に14人、10月に125人を整理解雇が強行されました。
労組の弱体化を狙った攻撃に、それまでの単発的なビラ発行に代え、定期発行の機関紙として第1号が発行されました。
職場組合員に正しい情報をいち早く知らせ、職場を基準にしたたたかいを展開するために、新聞の配布も直接支部役員の手元に届けられました。
●80年ころ
核廃絶で世界が手を結ぶ
1000号を迎える82年は、人事院勧告が凍結され、同時に70歳以上の老人医療が一部有料化された年です。今日の公務員攻撃と住民福祉の後退は、この当時から続けられてきたものです。労働組合を労使協調に変質させるための組織「全民労協(連合の前身)」が結成された年でもあります。
一方で、第二回国連軍縮会議に合わせ100万人のニューヨーク反核デモの成功はじめ、イギリス、ドイツ、カナダでも核廃絶の運動が広がった年でした。
●現在
マイナス勧告・賃金カットとたたかう
昨年は、人勧前の夏期一時金カットに続き、2年連続の不当なマイナス人勧が出されましたが、春闘時期から民間労組とも共同で人事委員会への要請行動を取り組むとともに、「景気回復のためにも名古屋市が『雇用と賃金の改善を』」と、粘り強くたたかいをすすめました。
職員の賃金カットやマイナス人勧が景気回復に逆行するだけでなく、「保育料の値上げ」や「自動車図書館の廃止」など市民生活犠牲の市政と根は同じであることを明らかにし、賃下げの不当性を内外に訴えました。