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被災地支援行動【陸前高田現地レポート】4
6/12 名古屋出発 現地には18時半着
朝6時半、福祉支部、環境局支部のグループが新たに陸前高田に向けて出発しました。
【以降現地ボランティアからのレポート↓】
現地には18時半に到着しました。明日はボランティアセンターと瓦礫運びです。気を付けて活動します、では。
6/13 全員体調良好です
こんばんは。1日終わりました。午後雷雨あり。瓦礫組は午後二時半あがり、ボランティアセンター組は午後五時半あがりでした。ボランティアセンターの仕事は次のメンバーに引き継ぐために2、3日継続した活動となります。大型バスの誘導や資材の貸し出し、川に行っての水汲みから花壇の整備など、昼間の空いた時間も有効に使っています。
瓦礫撤去は人とのつながりを感じるものでした。市職労ボランティアからは、どんどんきれいになって達成感があったと感想がだされていました。
また、瓦礫撤去の依頼者がみえて、震災のショックで漢字が書けなくなってしまったと話されていました。漁業の道具はまた使いたいとおっしゃるので、丁寧にほりだしました。今日の作業では錨が4つも出てきて、それに網が絡まって大変でした。
明日は広報配布、ボランティアセンター、生活支援、瓦礫と分散しての活動です。全員体調良好です。
6/14 ボランティアセンターで資材貸付の受付
こんばんは。今日は雷雨もなく晴れ。陽射しは強いが風があり活動するには良い日でした。
活動は引き続きボランティアセンターと「陸前高田広報」の配布、瓦礫撤去、宿の生活支援(自治労連参加者の食事提供)でした。
活動終了後、陸前高田の沿岸部から大船渡に向けて車を走らせました。陸前高田市は平地が広く、大船渡市は港からすぐ山なので、津波の被害にも違いがありました。「瓦礫」と一口に言うけれど、津波さえなければ家であり、家具であり、生活必需品だったはずです。「瓦礫」の巨大な山を見て考えてしまいました。
追伸
一緒に来ている環境局支部の人が、環境の人間は瓦礫撤去をやるつもりで来る者が多いので、実際は違うということを認識して来たほうがいい、と言ってました。確かにそのとおりだと思います。
6/15 400年前の家屋の床板はがし
こんばんは。今日作業は室内の床板はがし。400年前に建った被災家屋での台所用品の洗浄、泥だし、棚作りなど。そして引き続きボランティアセンターでの活動でした。活動も三日目、瓦礫片付けが続いている組合員は少し疲れがでているようです。天気は上々、明日は最終日です。
6/16 作業最終日
今日は活動最終日。広報配布、ボランティアセンター、山の斜面の瓦礫撤去でした。
山の斜面と思ったところは、津波で運ばれた土砂が体積しており、掻き出すたびに、瓦や家財道具がでてきます。
ボランティアセンターでは一輪車のパンク直しを精力的に行いました。若い多くの仲間がこの活動に参加するよう訴えたいとおもいます。
6/17 名古屋へ向けて出発
6時半に宿をでました。全員体調良好です。自宅に着くまでが、震災ボランティア活動。気をつけて帰ります。